今年の2月「夜と霧」(ヴィクトール・E・フランクル)を読み、青少年読書感想文コンクー
ルで見事文部科学大臣賞に輝いた中学三年生の作品に、心動かされ早速この本を息子にネ
ットで取り寄せてもらった。
高齢のわたしにはずいぶん前になるが確か20代半ば、図書館で借りて読んだ記憶がある。
だが7歳の時父は戦死、満州で終戦を迎え母子3人で命からがら引き揚げてきた辛い体験が
頭から離れず途中で何度も読み進めなくなったのを覚えている。
著者である精神科医は1942年妻や両親、数百人のユダヤ人と拘束された後、家族と離れ
アウシュビッツ大規模強制収容所の支所で悪名高い絶滅収容所に送られた。
恐怖に震えながら身ぐるみはがされ人格など微塵もないただ番号で呼ばれる被収容者とな
った。
そこは人として極限を超える死と隣り合わせの耐え難い環境だった。
過酷な強制労働をさせられた後の食事は一日に一回水のようなスープとちっぽけなパン、
たまにつく粗悪なソーセージ一切れだった。
また発疹チフスが流行して収容者がチフスにかかっても、重労働をさせられ薬も与えられ
ず手当も受けられない為、罹患者はバタバタと死んでいった。死体は無造作に裏の仮設テ
ントの中に投げ込まれた。
収容者は朝早く氷のように冷たい風の中、大きな石や水たまりをよけ、よろめきながら工
事現場につく。壕の中に入り凍てついた地面につるはしをたたきつけると火花が散った。
こんなに辛く苦しい日が来る日も来る日も続くのである。
寒さと疲労で誰もひと言も口を利かず歩き続けていた時、著者の心が妻の面影で占められ
た。面影の妻と語りあい妻は微笑んだ。その微笑みは今昇ってきた太陽より明るかった。
心が温かくなって何とも言えない幸せ感に包まれた時、愛は人が人として到達できる究極
にして最高のものだという真実が心に刻まれた。
あまりに過酷な日々が続くと人は無感情、無感動の状態になり、朝隣で収容者が死んでい
ても何も感じず驚きもしない。
しかし苦しみの中でも一心に過去の様々な体験の追憶を重ねていると、今ある死と隣あわ
せの現状を離れて、心が豊かになり、芸術や美しい自然にも魅了され感動する心が蘇る。
やがて自分には待っている人がいる、自分にはやるべきことがあるという思いにつながり
未来に希望を持ち生きようとする力が湧くと著者は説く。
『どんな状況にあっても、わたしたちは生きることから何かを期待するのではなく、むし
ろひたすら生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ』
著者の言葉である。
つまり人生とは何かをしてもらうために生きるのではなく、どんな状況にあっても自分が
人生にたいして何かをする。
自分の欲望ばかりを満たそうと考えるのではなく、どんな状況にあっても生きている限り
世の中のために役立つという使命感を持って生きぬくことであるという。
私は死と隣り合わせの苦しみの中にあっても一人でも多くの人に生き抜いてほしいと願い
、これほどの高みの理論を説き絶望する人達を支え励まし続けた偉大な著者に息が詰まる
ほどの感動を覚えた。
記録的猛暑の続く今夏8月15日は78回目の終戦記念日である。
奇しくも【夜と霧】の著書に再度出逢ったのは何か意味があると感じた。ページ数はあま
り多くないのでわたしは何回も読み返した。時間はかかったが読後は達成感で満たされた
。
わたしは今85歳である。
戦後父はシベリアで戦病死し残された母子三人は筆舌に尽くしがたい過酷な体験をした。
その思いをどこにどのようにおさめたらよいのか長い間苦しんだ。
著者は、人はどのような過酷な状況にあっても生き方を決めるのは自分自身であると説く
。
わたしは戦後の苦しみのさなかでは、ただ戦争を憎むばかりで、このような考えには至ら
ずむしろ運命に翻弄されているような気さえしていた。
高齢ではあるがこの本と出会うことができたのは幸運だった。今わたしは残された人生の
営みに少しでも活かして生きたいと考えている。
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