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桜の向こうに在りし日の友が

4月に入ってすぐ息子たちが牛久大仏にお花見に連れていってくれた。

その日の朝は紺碧の空に真っ白な雲が斑に浮かび、春風が優しく絶好の花見日和だった。

園内に入ると地上120mの大仏様がこの世の全てを見渡しているかのごとく天を突いている。

広い園内はきれいに整備され見ごろの桜が美しい。

歩を進めると左手に池があり、池を囲む桜が水に映って揺れている。桜の木の下は濃いピンクの芝桜が咲いて絨毯を敷きつめたようだ。

大仏様の立像の裾に広がる水と桜、そして赤い芝桜のコラボが見事である。

じっと見つめているとその美しさに心奪われ別世界にいるような気がした。

昼頃になって、空の色はやさしい水色になり白い綿菓子のような雲が浮かんでいる。

花の向うの雲を見つめていたら逝ったばかりの友が雲と重なって微笑んでいるような気がして目頭が熱くなり大粒の涙がこぼれた。

わたしは70歳の時、長男一家と青森県弘前市で暮らすようになったが、高齢になって新しい地で暮らす寂しさもあって市の学習講座にいくつか入会した。そのうちの一つがカラオケ教室だった。

カラオケ教室の先生の素晴らしい歌唱は有名だった。先生は地域で広く活躍され誰もがその歌声に魅了された。また高齢者に寄り添った優しく分かりやすい指導力は高く評価され会員が多く幾つもの教室を持っていた。また学んでいる人たちのレベルも高く何より楽しそうだった。

亡くなった友人とはこのカラオケ教室で親しくなった。

わたしたちはよくお気に入りの喫茶室で珈琲を飲みながら様々な話をするようになった。

最初は遠慮もあってあまり踏み込んだ話はしなかったが、回を重ねるうちに自分たちの生い立ちや、互いが抱えている悩み、身の回りの出来事など多様な話をした。時には他の友人を交えてカラオケに行き教室の課題曲の練習もした。

友人は、曲の主人公になりきって感情豊かに歌いあげ聞く人に感動を与えていた。

弘前で暮らして10年が過ぎた時、わたしは息子の仕事の都合で今度は岐阜市に転居した。

この時、心のよりどころだった友との別れはとても辛かった。

岐阜の生活に少し慣れたころ、友人はわたしたち共通の友人と二人で来県する予定を立て宿の予約までしたがコロナ感染拡大のためやむをえず中止した。わたしは一旦取りやめてもコロナはすぐ収まると安易に考えていたが、結局3年も続き来県はかなわなかった。

遠く離れた私たちは電話でその時々の心の内を語り合っていたが、その頃から友人はたまに体の不調を訴えるようになった。日にちが経たっても病状は思うように回復せずやがて入退院を繰り返すようになった。同じ頃わたしも転んでは怪我をして入退院を繰り返していたが電話は変わらずかけあって会話を楽しみ病んでいることを忘れるほどだった。

今年に入って友人の病状は進み心配していたら電話が入った。

友人は比較的元気な声で、今までは家に一人でいて1日中ベッドの上にいる日々だったが、通所で介護施設にお世話になるようになりその日が楽しいと 様子を話してくれた。

お風呂に入れてくれる人のゆき届いた対応で身も心も解れる。昼食を仲間と会話しながらおいしくいただく。午後にはカラオケの時間があり、先生のりようしゃへの思い遣りのある指導のもとみんなの前でひとりひとりが歌う。先生に褒められると嬉しく幸せな気持ちを家にまで持ち帰る。誰もがカラオケの時間をとても楽しみにしている。

介護施設で働いている人が温かく一生懸命介添えしてくれありがたく心から感謝していると話してくれた。

友人のひと言ひと言から深い感謝の気持ち伝わってきた。

わたしは友人の声に張りを感じ良かったと思った。

その後何回か電話のやり取りをしたが電話の声に力があり容体は落ち着いていると感じていた。

3月に入り春の穏やかな陽を受けて花に水やりをしていたら電話が入った。

友人からのこの電話が最後の電話になるとはこの時夢にも思わなかった。

電話ではあまり深刻にならないよう病状のやり取りをした後、彼女はいつになく明るい声で【わたしは人生で今が一番幸せなの】と話し始めた。

家族が親身に世話をしてくれ、たった一人の内孫も「おばあちゃん 大丈夫?」といつも声をかけて心配してくれる。とても愛おしい。

今迄関わってきた友人知人の大勢の人たちに声をかけてもらい励まされている。

また介護施設の人たちの一生懸命の姿勢に感謝し感動している。こんなにみんなに心にかけてもらえる自分はなんて恵まれているのだろうと思う。

そしてもう一つ、人生の晩年にあなたに出逢えたこと最高の幸せと思っていると言われた。

わたしはそう思ってもらえることへの感謝の気持と、わたしも全く同じ思いでいると話した。共に考え,悩み、感動し,意見の違いを議論し合ったこと等々、共有してきた長い時間はわたしにとって珠玉の時間と思っている「これからもよろしくね」と言った。

友が「きっと神様がお互いを引き合わせてくれたのね」と言って二人で小さく笑い合った。

さらに「わたしは死を少しも恐れていない。神のみもとにいくのだから」とも言った。

そして電話の最後に「今とても気分がよくて90歳まで生きるような気がするの」と話してくれた。

わたしもきっと元気になってくれると信じ「二人で頑張って90歳まで生きようね」と少し上ずった声で返した。

しかし翌々日の朝 娘さんから訃報が届いた。

友人が旅立って2ヶ月あまりになる。

今わたしは果てしなく続く水色の空を見つめながら友と交わした一語一語を心の中で繰り返している。

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この記事を書いた人

84歳のおばあちゃんです。
毎日楽しく過ごしてます。
日々感じた事や過去の事を、つれづれと気の向くままに書いてます。
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