大分前になるが2月の毎日新聞に第68回青少年読書感想文コンクール297万6千編余
りの応募作品から内閣総理大臣賞と文部科学大臣賞を受賞した10人の作品全文が掲載され
た。
受賞された小中高全作品の豊かな感性と奥深い思考力、それらを表現する高いレベルの文
章力に圧倒され10編をいっきに読んだ。
わたしはその中の一編、中学三年生(女性)長谷さんの感想文に特に引き付けられた。長谷
さんが読んだ本はビクトール・E・フランクル著・池田香代子・訳【夜と霧 新版】であ
る。
ナチス・ドイツの強制収容所から生還したユダヤ人精神科医の手記だ。
著書にはユダヤ人強制収容所の残虐非道の数々が綴られている。
家畜用の貨車に詰め込まれ糞尿にまみれて移送され強制労働を強いられる。理不尽に絞首
刑になる。常に殺害、病死、餓死の恐怖の前にあり人々は人生に絶望している。
そんな極限状態の中にあっても飢えた仲間に一片のパンを分け、過酷な強制労働に耐えた
後に美しい夕日に感動する崇高な精神を失っていない。
故に「どんなに悲惨な状況にあってもどんな人間になるかは、あなた自身が決めることが
できる。」と記している。
この言葉から長谷さんは,今抱えている様々な苦悩は向き合い方次第でそれに翻弄される
のではなく,成長の踏み台に変えることができると考えた。
自分の今までの努力は【自分の幸せ】を手に入れる為だったが、自分の使命を追求し誰か
を幸せにする生き方こそが心を満たすものだと気付く。
【私たちがなすべきことは,生きる意味を問うのではなく、人生から問われていることに
全力で応じることだ。】更に【たとえ成功の保証がなくても人生の意味や尊厳を傷つける
ものでない。ならば妥協より挑戦を選ぼう。】
わたしはこの感想文に衝撃を受けた。若干14歳の中学三年生がこの本を読んでここまで突
き詰めて高潔とも言える考えに至るのかと驚いた。
高齢のわたしは14歳といえばずいぶん前のことになる。
わたしは7歳の時終戦を迎えた。父は終戦目前に召集され戦後捕虜となって極寒のシベリ
アに抑留され強制労働を強いられ末栄養失調で亡くなった。
残された母子3人は満州から引き揚げてきたが帰国後は厳しい生活が長く続いた。わたし
の中学三年の頃はその真っただ中にあった。
わたしは(父は戦争に望んでいったのではない。強制召集でいかざるを得なかったのだ
。) と心にわだかまりをもち重苦しい日々を過ごしていた。
当時苦しさから抜け出すために,その思いを勉強にぶつけた。その目的は勉強して将来大
きな会社に就職して苦労している母を楽にさせてあげたい。そして自分も幸せになりたい
。とすべて私のためであり長谷さんのように誰かを幸せにするためとは考えなかった。
今の社会状況と当時とではずいぶん違うと思うけれど著者フランクルは【どんな悲惨な状
況にあってもあなたがどんな人間になるかはあなた自身が決めるとある。】
14歳の頃この思いは心の根底にはあっても様々な理不尽な体験をする中で揺れ動いた。
長谷さんがこの本で(自分の使命を追求し誰かを幸せにする生き方こそが心を満たすものだ
と気付かせてもらった)というくだりに、強い正義感と洞察力,柔軟な優しさと謙虚さが伝
わってきてわたしの心は高鳴った。
長谷さんの素晴らしい未来を願うと共に,たとえ挫折があってもこの方なら乗り越えられ
ると信じられる事をとても嬉しく思う。
わたしも長谷さんの感想文を読んでこの本を取り寄せて読もうと決めている。
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