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息子と観た【認知症】の映画

初秋のある朝テレビのモーニングショーを見ていたら,若手の好きな俳優菅田将暉が認知
症をあつかった自分の出演映画【百花】の宣伝をしていた。


わたし自身高齢で認知症は無縁とは思えず、何故かこの映画を観たいと思った。
息子に映画の話をしたら一緒に行ってくれるという。

映画館が遠いこともあり、何より息子と映画を観るのは何十年ぶりなので,思わず「わあ!うれしい」と声を上げた。
映画の原作を読んだわけでもなく、何の予備知識もないまま観たので自分が想像していた内容とは違っていたが考えさせられることが多かった。


映画は父親を知らず育った息子が結婚して母親と別に住んでいる。有能な妻は仕事を持ち
妊娠中である。


息子は大晦日の夜はいつも一人暮らしの母を訪ね共に過ごしていた。
今年の大晦日も母と過ごそうと仕事が終わってから家に帰ったが母は留守だった。心配で
探したら近くの公園のブランコにコートも羽織らず座っている母を見つけた。
息子はちょっとおかしいと思ったがこの時まさか認知症が始まっているとは思わなかった。
父がいなくても母はピアノ教室を開いて生計を立て自分に愛情を注いで育ててくれた。
だが中学2年になろうとした時何も告げずに妻子ある男のもとに走り1年間帰ってこなかっ
た。
その時息子は食料もお金もなくなってから疎遠の祖母に連絡して面倒をみてもらった。
母は一年後戻ってきてその後は何もなかったように暮らした。
息子はこれからは年を取ってきた母にできるだけ寄り添い機会あるごとに話し合い今迄の
わだかまりを紐解き理解しあっていきたいと考えていた。
しかし現実は話のつじつまが合わないことが多く、家の中は乱雑になり食料品も同じもの
を大量に買求め万引きまでしてしまう。

そこで病院に連れて行ったらアルツハイマー型認知症と診断されるのである。
母は日を追うごとに問題行動が多くなり息子はどう接していいのか悩みぬいた末海辺に立
つ小さなグループホームに入所させることにした。
そこで母はピアノなど弾き比較的穏やかな日々を過ごしていた。
ある日半分の花火を観たいという母を連れて、花火大会を見ての帰り水の中に入って暴れ
る母をなだめる息子に向かって【あんたは誰?】と言い放つ。

母は年が明けて間もなく肺炎を患い亡くなってしまう。
母がいない現実を受け止めるのに時間がかかったが,実家を整理するため家に帰った。
花火の音に気付き夜空を見上げると何発もの花火が美しく夜空を彩っている。だが家から
見ると前の建物にさえぎられ花火が半分しか見えない。
息子はこの家に越してきた夜、母と二人で同じ花火を楽しんだことを思い出した。
母が【半分の花火をみたい】と言った意味を知った息子は母が亡くなって初めて顔をぐし
ゃぐしゃにして泣いた。
わたしも涙せずにはいられなかった。

映画が終わってしばし放心状態になった。
認知症を患い記憶を失ってゆく過程で母は苦しみぬき終には愛する大切な息子さえもわか
らなくなる。

一方壊れてゆく母と向き合う息子の苦しみは想像を絶するものである。
認知症は病むのではなく人間が壊れてゆくのだと思った。今の医学では病気の進行を遅ら
せることはできても治すことはできないと言われている。

また認知症にならないようにする決定打もない。

結局は自分が認知症にならないようにと神仏に祈るしかないのだろうか。
車を運転する息子の横顔を見ながらこの苦しみを味会わせないですむようにと祈るばかり
だった。

原田美枝子と菅田将暉の抑えた演技で切っても切れない親子の情、内面の苦しみが伝わり
沢山のことを考えさせられる良い映画だった。

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この記事を書いた人

84歳のおばあちゃんです。
毎日楽しく過ごしてます。
日々感じた事や過去の事を、つれづれと気の向くままに書いてます。
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