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83歳今が幸せ

朝起きて「おはよう。今日は何日? 何曜日?」とそんなたわい無い夫婦の会話で一日が始まる。夫はまずその日に捨てる分別ごみを機嫌よく捨てに行ってくれ、帰りにポストから新聞を取り出してきてゆっくり目を通す。

 わたしは朝食の支度にとりかかる。我が家は一日のうちで朝食に一番気を使っている。

栄養のバランスを考えて、なるべく多くの食品を使うようにしている。食後は旬の果物で手ごろな値段になるころを見計らって買い求め、2~3種類添えるようにしている。特にその方面の勉強をしたわけでなく、テレビや雑誌、かかりつけ医の指導などあくまで自己流の献立である。夫は旨いとか、不味いとか言わないが、ほとんど残さず食べてくれる。

私から、「今日のなになには美味しいね」と話しかけたり、テレビを見ながら互いにとりとめのないことを言いあって結構楽しい朝食になる。

わたしは五年前に初期の乳がん、二年前に盲腸がんの手術のため入院した経験から、こうして健康で台所に立って料理を作り食べてくれる人がいることの幸せをかみしめている。

季節は秋、抜けるような青空に真っ白な一直線の飛行機雲を描いて機影は彼方に消えて行く。

少し冷たいさわやかな風がカーテンを揺らしながら掃除を済ませた部屋を通りぬけ、庭に干した白い洗濯物が秋の陽に反射して眩しい。

 70歳まで小さな店を切り盛りしていたためか、いつも仕事に追われていてほっとする時間がなかったせいか、こんな何気ない日常が幸せに思う。

家事をすませた後、夫と一緒に健康にもいいので家から10分程のスーパーへ歩いて買い物に行く。荷物を持つのが大変だろうと息子が買ってくれたショッピングカートをひいて足元に注意しながらゆっくりと歩く。道すがらきれいに手入れされた庭に色とりどりのコスモスが咲いている家がありその可憐で控えめな美しさに心惹かれ癒される。

通り道に道幅の狭い坂道があってよく車とすれ違う。わたしたちはカートを引いているので道の端ぎりぎりによけて車をやり過ごそうと立ち止まる。すれ違う車のなかに私たちを見て一旦停車して会釈をしてくれ、ゆっくりと走り過ぎる車がある。

会釈を返しながら私たちを気遣って止まってくれたと思うと有難くほのぼのとした気持ちになる。

コロナ禍で不要不急の外出ができないので予定のない日の午後はそれぞれ自室で過ごす。好きなコーヒーを傍らにおいて、朝刊の続きを読み、音楽を聞き、本を読む。またコロナ禍で会えない友人に電話やメールを送信し手紙を書くこともある。たまには昼寝もする。その日やることは気の向くまま自由に選択してきめる。

こうして誰にも干渉されず気ままに過ごす時間はわたしにとって何物にも代えられない至福の時である。同時に牛歩のごとくではあるが日々何かしらを学び、考え、感じることで、昨日の自分と少し違うような気がして楽しい。

 私たちが息子を頼ってこの地で生活をはじめて半年になる。高齢になっての転居には様々な不安があったがその心配はすぐに払拭された。近くにいる息子夫婦が温情を持って迎えてくれ、わたしたちが自立して生活できることを先ず考えて環境を整えてくれたうえで、できないところは快く手を差し伸べてくれる。

息子夫婦のゆき届いた心ある対応が有難くその思いを伝えると「普通のことをしているだけだから」と シンプルな言葉が返ってくる。

 息子夫婦のお陰でわたしたちは新しい地で心穏やかに充実した日々を過ごしている。

今の生活に充分満足しているが私たちも83歳、この先を思うと不安はある。何時かはわからないが、いずれ旅立つ日が来る。その前に長患いするかもしれない。

そこで先ずわたしたちがしなければならないことは、健康に細心の注意をはらい自分のことは自分でする自立した生活を、できるだけ長く続けるための努力をすることに尽きると思っている。

それが温かく見守り気遣ってくれている息子たちに対して第一にしなければならないことだと考える。

83歳の今 何より望んでいた安息の日々を過ごさせてもらいこれ以上の幸せはないと思っている。息子たちに深く感謝している。

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この記事を書いた人

84歳のおばあちゃんです。
毎日楽しく過ごしてます。
日々感じた事や過去の事を、つれづれと気の向くままに書いてます。
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