能登半島地震の毎日新聞の企画【ぬくもりそこに】で大切な家族4人を失った被災者Oさん
を取材している。
わたしはこの家族の事をテレビの報道で知りずっと頭から離れないでいた。
それだけに紙面を読み始めてすぐ目頭が熱くなり涙せずにはいられなかった。
被災者のOさんは単身赴任で普段家族と離れて生活していた。
それだけに夫婦のふる里珠洲市にある妻の実家で正月を家族揃って過ごすことを楽しみに
していた。
元日はほかの親族も集まり賑やかに楽しんでいた午後4時過ぎ最初の揺れが起きOさんは様
子を見に外へ出た。次の瞬間立っていられないほどの激震に襲われ轟音とともに妻の実家
はあっという間に土砂に飲み込まれ家族は生き埋めになった。
道路は寸断され警察や消防の到着は難航し、なんとか助かった人と必死に手作業で救助に
あたったが4日後に妻と長女,5日後に2人の息子が救出されたときは既に事切れていた。
たった一人になったOさんは家族と過ごした金沢市の自宅に戻った。優しく微笑んでいる4
人の遺影の前に骨箱が安置されている。家のどこにいても家族と過ごした記憶がよみがえ
り温もりが伝わってくる。いるはずの家族はもういない現実に涙を抑えられない。
人生乗り越えなければならない苦難はあると思うがこれほどの惨禍は他にあるだろうか。
あっという間に生き埋めになった家族が目前にいるのに4日も5日も助け出せず救出したと
きは全員が事切れていた。想像を絶する過酷さだ。
後にOさんは長女の友人の保護者から子どもたちに会いに行きたいと連絡をもらったこと
から葬儀に参列できなかった人たちにも妻や子供たちが歩んだ人生を知ってほしいと考え
るようになった。どんなに辛くても自分は4人の分までで生きぬいて、この世に生きてい
た証を残してあげたいと思った。
Oさんは3月には雛人形、5月には兜を飾り4人の誕生日にはお祝いをしてこれからもこの家
で今まで通り5人で過ごしていくと決意する。
前触れのない天災により沢山の人々が甚大な被害をうけ絶望の淵に立たされた。その未曾
有の苦しみは計り知れない。
やがてあの日から三ヶ月が経つ。被災者の方々は厳しい現実を受け止め前に向かって一歩
一歩、歩みだしている。
一方で沢山の人々が被災地に心を寄せ、自分たちに何ができるかを考え様々なかたちで支
援をしようと行動を起こしている。
必ず陽は昇る。言い尽くされた言葉である。
被災者の方々の辛苦の内心を思うと安易には言えない気がする。苦難の長い道のり心折れ
そうになることもあると思う。
しかし明るい未来に必ず到達すると信じて何とか頑張り通してほしいと強く願っている。
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