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久し振りに会えた30年来の友人達

初夏の空は青く澄み、風にそよぐ青葉が光っている。

今日はここ上野公園で30年来の3人の友人達と会う約束をしている。

ドキドキしながら待ち合わせ場所に目をやるとみんな来ていて一斉に手を振ってくれている。

こうして会うのは10年ぶりになるだろうか。懐かしさが一気に胸を突いた。

みんなこぼれんばかりの笑顔で思い思いに声をかけ合い一つになった。

友人が手配してくれた公園内の歴史を感じる日本料理店に入店した。

風情ある和室で季節感溢れる懐石料理を談笑しながら箸をすすめる。

長く会わなかったのにすぐに気持ちが通じ合い自然体でいい雰囲気をかもしだしている。

幸せを感じつつ美味しい料理をゆっくり味わった。

わたしは若い頃ショッピングモール内のブティックに長く勤めた後、自営で小さなブティックを開店していた。

友人たちはその時お世話になった人たちでその後ずっと変わらず親しくさせてもらっている。

店は来店してくださるお客さんのお蔭で活気があり、会話が弾んで笑い声が絶えなかった。

その頃よく店を閉めてから、友人たちの都合のつくとき集まって話に花を咲かせた。

みんなそれぞれ仕事を持ち一人一人がしっかり自分の考えをもって人生を歩んでいる。

深刻な話はあまりせず、思いつくままに映画、音楽の話、おしゃれな洋服の話、美味しい食べ物の話、画廊に勤めている友人の絵画の話,たまにニュースの深堀など・・・次から次へと興味ある話をして盛り上がった。

日々遣り甲斐を感じ楽しく仕事をしていたが、一方で辛いことも多々あった。

しかしどんな時でもお客様には笑顔で接し楽しんでいただくことが鉄則である。

そんな中で友人達と過ごすこの時間はあるがままの自分でいられる唯一無二の場所だった。

物事を見つめる目線、感性が似ていることが多く、違いがあっても意見を交換し納得すれば考を変える柔軟性もあった。

そしてどんな時も温かさが底流にありすこぶる居心地がよかった。

70歳の時、弘前市で仕事をしていた長男が同居を進めてくれ15年間続けた店を止めて主人と共に関東から青森に転居した。

高齢になって、新天地での生活に不安はあったが三人の可愛い盛りの孫と過ごす日々に張りがあった。

また弘前城の見事な桜、岩木山に向かって一面に咲く白いりんごの花、秋にはその白い花が真っ赤なりんごになる。

また十和田湖、奥入瀬渓流などが比較的近かったのでよく主人の車で出かけ自然が織りなす四季折々の情趣を満喫した。

友人たちも春に来県してくれたことがあり、十和田湖、奥入瀬に向かう窓外の残雪の多さに思い思いの声を上げ車中は笑いで弾けた。今思い出してもウキウキするほど楽しい思い出である。

弘前で10年経った時、息子の仕事の都合で岐阜に転居し、そして今は茨城県に住んでいる

茨城での生活がはじまって数か月後、家で転倒して膝の骨折で手術をして2カ月入院した。その後続けて脊椎圧迫骨折、上腕の骨折で結局1年間入退院を繰り返した。

更に機能回復のためのリハビリテーションを経て、多くの先生方のお陰で今は概ね日常生活ができるまでになった。

茨城に越してきてから今日まで約2年が過ぎた。慣れない地での長い病院生活で塞ぎ込むこともあったが友人たちはいつも変わらず温かく励まし続けてくれた.

みんなはわたしよりひと回り、あるいはそれ以上若い人たちである。以前は年齢の差を自覚したこともなく楽しくお付き合いさせてもらってきたが、今回会って八十半ばになった自分の衰えを痛感した。

みんなはまだまだ若々しく輝いていた。正直羨ましく思った。

以前と少しも変わらない、優しい心遣いをそこここに感じながらテンポよく会話が弾み楽しい再会はあっというまだった。

人生をさまざまあったけれど今もこの輪の中にいられる自分をとても幸せに思った。

同時に高齢になった最近は考え方が自分中心になっていることに後で気づいて反省することが度々ある。

友人たちのピュアな心に甘えすぎないように気を付けて、これからもずっと若々しく、清々しい感性に触れさせてもいたいと強く願っている。

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この記事を書いた人

84歳のおばあちゃんです。
毎日楽しく過ごしてます。
日々感じた事や過去の事を、つれづれと気の向くままに書いてます。
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